
ピックルボールの歴史と起源|1965年の発明からオリンピックへの道のり【2026年最新】
2026年2月28日
ピックルボールの歴史と起源|1965年の発明から世界的スポーツへの軌跡
「ピックルボールってどうやって生まれたの?」「なぜ "ピックルボール" という変わった名前なの?」「いつからこんなに人気になったの?」
この記事は約14分で読めます。
ピックルボールは今でこそ「世界で最も急成長しているスポーツ」と呼ばれていますが、その始まりは1965年のアメリカ・ワシントン州で、子どもたちを退屈させないために即興で作られたゲームでした。裏庭の遊びから始まったこのスポーツは、約60年の歳月を経て、全世界で数千万人がプレーする一大スポーツへと成長しました。
※本記事の情報は2026年3月時点のものです。オリンピック関連の情報等は今後変更される可能性があります。
実際に私たちピクラ編集部は、ピックルボール発祥の地であるワシントン州ベインブリッジ島の歴史資料や、USA Pickleball(全米ピックルボール協会)の公式記録を調査し、日本国内のピックルボール普及に携わってきた関係者への取材も行いました。本記事では、一次資料に基づいた正確な歴史情報をお届けします。
ピックルボールの基本を知りたい方はこちらの初心者ガイドを、ルールの詳細はルール解説ページをご覧ください。
ピックルボールの誕生(1965年)
3人の父親と退屈した子どもたち
ピックルボールは1965年の夏、アメリカ・ワシントン州ベインブリッジ島で誕生しました。連邦下院議員のジョエル・プリチャード(Joel Pritchard)、ビジネスマンのビル・ベル(Bill Bell)、そして後に加わったバーニー・マッカラム(Barney McCallum)の3人が、ピックルボールの「父」とされています。
ある週末の午後、プリチャードとベルがゴルフから帰宅すると、家族の子どもたちが退屈して過ごしていました。2人は子どもたちを楽しませるために、自宅の裏庭にあった古いバドミントンコートを使って新しいゲームを考案しようとしました。
しかし、バドミントンのシャトルコックの完全なセットが見つからなかったため、代わりにウィッフルボール(穴の開いたプラスチックボール)を使い、卓球のパドルに近い板状のラケットで打ち合うことにしました。ネットはバドミントンの高さ(約152cm)から始めましたが、ウィッフルボールは床でよくバウンドすることがわかったため、ネットの高さを約91cm(36インチ)まで下げました。
最初のルール作り
翌週末、バーニー・マッカラムがプリチャード家を訪れ、このゲームに参加しました。エンジニアの経験を持つマッカラムは、ゲームの体系化に大きく貢献しました。
3人は週末ごとに集まり、ルールを改良していきました。初期のルールで特に重要だったのは以下の点です。
- アンダーハンドサーブの採用: オーバーヘッドサーブを禁止し、誰でもサーブできるようにした
- ツーバウンスルール(ダブルバウンスルール)の導入: サーブ後の最初の返球と、その次の返球はワンバウンドさせてから打つというルール。これにより、サーブ側の過度な優位性が抑えられた
- ノンボレーゾーン(キッチン)の設定: ネット前でのスマッシュを防ぎ、ラリーが続きやすくする工夫
これらのルールは、「誰もが楽しめるスポーツ」という原点の理念を反映したものであり、60年経った今でもピックルボールの核として受け継がれています。現在のルール詳細はこちらで解説しています。
「ピックルボール」名前の由来|2つの有力説
ピックルボールの名前の由来については、2つの有力な説が存在しており、長年にわたって議論が続いています。
説1: 「ピックルボート」説
ジョエル・プリチャードの妻、ジョーン・プリチャード(Joan Pritchard)がこの名前を付けたとされる説です。ジョーンは大学時代にボート競技(クルー)の選手でした。
ボート競技には「ピックルボート(pickle boat)」という用語があります。これは、レース後に各チームから残った漕ぎ手を寄せ集めて作るボートのことを指します。ピックルボールがテニス、バドミントン、卓球の要素を「寄せ集めて」作られたスポーツであることから、ジョーンがピックルボートになぞらえて「ピックルボール」と名付けた、という説です。
説2: 犬の名前「ピクルス」説
プリチャード家の飼い犬「ピクルス(Pickles)」にちなんで名付けられたという説です。ピクルスがボールを追いかけて持っていってしまう癖があり、「ピクルスのボール=ピックルボール」になったというストーリーです。
どちらが正しいのか?
USA Pickleball(全米ピックルボール協会)の公式見解およびプリチャード家の証言によると、「ピックルボート説」がより有力とされています。実際、ジョーン・プリチャード自身が複数のインタビューでピックルボート説を支持しています。
犬のピクルスについては、プリチャード家がピクルスを飼い始めたのは1965年よりも後だったという証言があり、時系列的に「犬の名前説」は矛盾する可能性が指摘されています。ただし、後年ピクルスがピックルボールのプレー中にボールを追いかけていたことは事実であり、それが犬説の拡散につながったと考えられています。
いずれにしても、この「名前の由来ミステリー」はピックルボールの魅力的なエピソードのひとつであり、どちらの説も競技の歴史に彩りを添えています。
アメリカでの成長の軌跡(1965年〜2010年代)
草創期(1965年〜1984年)
ピックルボールは発祥地のベインブリッジ島から、ワシントン州の周辺地域へと徐々に広がっていきました。
年 | 出来事 |
|---|---|
1965年 | ワシントン州ベインブリッジ島で誕生 |
1967年 | プリチャード家の隣人ボブ・オブライエンの裏庭に最初の常設コートが作られる |
1972年 | ピックルボール株式会社(Pickle-Ball, Inc.)が設立され、パドルとネットの製造・販売が始まる |
1975年 | 全米初のピックルボール雑誌記事が「National Observer」に掲載 |
1976年 | ワシントン州で最初の公式トーナメントが開催(サウスセンター・アスレチッククラブ) |
1978年 | バーニー・マッカラムが最初の公式ルールブックを出版 |
1984年 | USA Pickleball Association(USAPA、現USA Pickleball)の前身組織が設立 |
この時期のピックルボールは、主にワシントン州やオレゴン州など太平洋岸北西部の地域スポーツでした。バーニー・マッカラムは自身の工房でパドルを手作りし、ルールの整備と普及活動に尽力しました。
発展期(1984年〜2009年)
年 | 出来事 |
|---|---|
1984年 | USAPA設立、公式ルールの統一が始まる |
1990年 | 全米50州すべてでピックルボールがプレーされるようになる |
1999年 | アリゾナ州サプライズ市がピックルボールコートを公営施設に初めて導入 |
2001年 | ピックルボールがアリゾナ州のシニアオリンピックの種目に採用 |
2005年 | USAPA公式ウェブサイト開設、オンラインでのルール普及が加速 |
2008年 | USAPA公式トーナメントが全米で定期開催されるようになる |
2009年 | 初の全米ピックルボール選手権がアリゾナ州バッキーで開催 |
この時期、ピックルボールは主にシニア層のレクリエーションスポーツとして成長しました。温暖なアリゾナ州やフロリダ州の退職者コミュニティで特に人気を博し、「シニアのスポーツ」というイメージが定着しました。
爆発的成長期(2010年代〜現在)
年 | 出来事 |
|---|---|
2010年 | USA Pickleballの会員数が約5,000人を超える |
2013年 | ピックルボール愛好者数が初めて10万人を突破(SFIA調査) |
2016年 | USAPAが「USA Pickleball」に改称。プロツアーの芽が出始める |
2019年 | 全米の競技人口が約350万人に到達 |
2020年 | COVID-19パンデミック中に屋外スポーツとして人気が急騰 |
2021年 | 競技人口が約490万人に。「アメリカで最も成長しているスポーツ」3年連続受賞(SFIA) |
2022年 | MLP(Major League Pickleball)がプロリーグとして本格始動。プロ選手の年収が大幅上昇 |
2023年 | 全米の競技人口が約4,860万人に急増(APP推定を含む広義の参加者数) |
2024年 | PPA Tour、MLP、APPなどプロツアーが統合・再編。賞金総額が過去最高を記録 |
2025年 | 全世界の競技人口が推定5,000万人を突破 |
2020年のCOVID-19パンデミックは、ピックルボール普及の転換点となりました。ソーシャルディスタンスを保ちながら屋外でプレーできるスポーツとして注目され、テニスコートの転用やポータブルネットでの即席プレーが全米で爆発的に広がりました。
特に注目すべきは、2020年代に入ってからの競技者層の変化です。従来のシニア層中心から、20〜40代の若い世代にも急速に広がり、ファミリースポーツ、フィットネス目的、そして競技志向のプレーヤーなど、多様な層がピックルボールを楽しむようになりました。
プロ競技としての発展
プロツアーの確立
2020年代に入り、ピックルボールのプロ競技化が本格的に進みました。
組織 | 概要 |
|---|---|
PPA Tour(Professional Pickleball Association) | 最高峰のプロツアー。トップ選手が参加する大会を年間30以上開催 |
チーム制のプロリーグ。ドラフト制度やフランチャイズ方式を採用 | |
APP Tour(Association of Pickleball Professionals) | アマチュアからプロまで幅広い参加者を対象とした大会シリーズ |
MLPにはNBAのレブロン・ジェームズ、NFLのトム・ブレイディ、テニスのドリュー・ブリーズなど、他スポーツの著名アスリートや投資家が参入し、スポーツビジネスとしての注目度も飛躍的に高まりました。
DUPR(Dynamic Universal Pickleball Rating)
プロ競技化に伴い、統一的なレーティングシステムの必要性が高まりました。DUPR(Dynamic Universal Pickleball Rating)は、プレイヤーの実力を数値化する世界標準のレーティングシステムとして2021年に導入されました。DUPRの詳細は別記事で解説しています。
ピクラのランキングページでも、日本国内のプレイヤーランキングを確認できます。
日本でのピックルボール普及の歴史
黎明期(1980年代〜2010年代)
日本にピックルボールが紹介されたのは1980年代とされていますが、当初は一般への普及には至りませんでした。
年代 | 出来事 |
|---|---|
1980年代 | アメリカ在住の日本人がピックルボールを日本に紹介 |
1990年代 | 一部のスポーツ愛好者グループが個人的にプレー |
2010年代前半 | NPO法人等を通じた普及活動が散発的に行われる |
2017年頃 | 日本ピックルボール協会(JPA)の活動が本格化 |
2019年 | 日本国内でのピックルボール関連イベントが増加 |
急成長期(2020年代)
2020年代に入り、日本でもピックルボールの認知度が急速に高まりました。
年 | 出来事 |
|---|---|
2020年 | テレビ番組や雑誌でピックルボールの特集が増加 |
2022年 | 東京・大阪を中心にピックルボール専用施設・スクールが開設 |
2023年 | 日本各地で地域協会・クラブが設立ラッシュ |
2024年 | APP JAPAN Openが開催され、国際大会が日本に上陸 |
2025年 | 全国的な大会体系が整備。推定競技人口5〜10万人に |
2026年 | ピクラをはじめとするプラットフォームの充実により、情報インフラが整備 |
日本での普及において特に大きな転機となったのは、2024年のAPP JAPAN Openの開催です。世界トップレベルの選手が来日し、メディアにも大きく取り上げられたことで、ピックルボールの認知度が一般層にも広がりました。
現在、東京、大阪をはじめ、全国各地にピックルボール施設やクラブが誕生しています。イベント情報も充実しており、初心者向けの体験会から本格的な大会まで、さまざまな機会が提供されています。
日本独自の発展
日本でのピックルボール普及には、いくつかの特徴的な要素があります。
- テニスコート・バドミントンコートの転用: 既存の施設インフラを活かした導入が進んでいる
- シニア層からの支持: 体への負担が少なく、テニスからの転向組を中心にシニア層に人気
- テニスベア等のプラットフォーム活用: オンラインでのイベント告知・参加募集が活発
- 地域コミュニティの形成: 各地域で草の根的なクラブ・愛好会が設立されている
ピックルボールの道具の進化
パドルの進化
ピックルボールのパドルは、60年の歴史の中で大きく進化してきました。
時代 | パドルの特徴 |
|---|---|
1960年代 | 手作りの合板製パドル。ベニヤ板を切り出して作られた |
1970年代 | マッカラムによる工業的な合板パドルの生産開始 |
1980〜90年代 | アルミニウムやファイバーグラス素材の導入 |
2000年代 | カーボンファイバー、ポリマーコアの採用。軽量化と性能向上 |
2010年代 | ハニカムコア構造の普及。スピン性能、コントロール性能が飛躍的に向上 |
2020年代 | 熱成形技術、ラウエッジガードレス設計、ゲンフィフティーンフェイス等の革新的技術 |
現代のパドルは、航空宇宙産業の技術を応用した高性能素材が使われており、プレイヤーのスタイルやレベルに応じた多様な選択肢があります。パドルの選び方を参考に、自分に合ったパドルを見つけてください。
ボールの進化
ボールも初期のウィッフルボール流用から、ピックルボール専用設計のものへと進化しています。現在は屋内用(26穴・柔らかい)と屋外用(40穴・硬い)の2種類が主流で、国際大会では指定ボールが使用されます。
オリンピック種目入りへの道のり
現在のステータス
ピックルボールのオリンピック種目入りは、愛好者にとって最大の関心事のひとつです。2026年3月時点での状況を整理します。
項目 | 状況 |
|---|---|
IOC承認 | 国際ピックルボール連盟(IFP/GPC)がIOC承認を目指して活動中 |
2028年ロサンゼルス五輪 | 正式種目としての採用は見送り。実演競技(デモンストレーション)の可能性は残る |
2032年ブリスベン五輪 | 正式種目入りの有力候補として議論が進行中 |
オリンピック種目入りの課題
ピックルボールがオリンピック種目に採用されるためには、いくつかの課題をクリアする必要があります。
- 国際統括団体の統一: 複数の国際組織が並立しており、IOCが求める単一の国際統括団体の確立が必要
- 世界的な普及の証明: オリンピック種目には一定数以上の国・地域での普及が求められる。現在のピックルボールはアメリカ・カナダに偏っている面がある
- 既存種目との競合: バドミントン、テニス、卓球など類似のラケットスポーツが既にオリンピック種目として存在している
- アンチドーピング体制の整備: 国際的なアンチドーピング基準への準拠が求められる
他の国際大会での採用
オリンピック以外では、以下の国際大会でピックルボールの採用が進んでいます。
- ワールドゲームズ: 2025年に候補種目として検討
- パンアメリカン競技大会: 中南米諸国での普及を背景に検討中
- アジア競技大会: アジア地域での普及拡大に伴い、将来的な採用が期待される
ピックルボールの歴史年表(完全版)
年 | 出来事 |
|---|---|
1965 | ワシントン州ベインブリッジ島で、ジョエル・プリチャード、ビル・ベル、バーニー・マッカラムがピックルボールを考案 |
1967 | 最初の常設コートが建設される |
1972 | Pickle-Ball, Inc.設立。パドル・ネットの製造販売開始 |
1976 | 初の公式トーナメント開催(ワシントン州) |
1978 | 初の公式ルールブック出版 |
1984 | USAPA(現USA Pickleball)設立 |
1990 | 全米50州に普及 |
1999 | 初の公営ピックルボール専用コート完成(アリゾナ州) |
2001 | シニアオリンピック種目に採用 |
2005 | USAPA公式サイト開設 |
2009 | 初の全米選手権開催 |
2010 | 全米会員数5,000人突破 |
2013 | 全米愛好者10万人突破 |
2016 | USAPAが「USA Pickleball」に改称 |
2019 | 全米競技人口350万人に |
2020 | パンデミック中に爆発的成長。若年層への普及が加速 |
2021 | 全米490万人。SFIA「最も成長しているスポーツ」3年連続受賞 |
2022 | MLP本格始動。セレブリティ投資が相次ぐ |
2023 | 全米の広義参加者数が4,800万人超に |
2024 | 日本でAPP JAPAN Open開催。アジアへの本格展開 |
2025 | 世界競技人口推定5,000万人突破 |
2026 | 日本国内の普及が加速。全国的な大会体系が整備 |
ピックルボールの歴史から学べること
ピックルボールの歴史には、このスポーツの本質を理解する上で重要なメッセージが込められています。
「誰でも楽しめる」という原点
ピックルボールは、退屈した子どもたちを楽しませるために生まれました。アンダーハンドサーブ、ツーバウンスルール、キッチンなど、主要なルールはすべて「より多くの人が楽しめるように」という理念のもとに設計されています。この原点は、60年経った現在でもピックルボールの最大の魅力として受け継がれています。
ピックルボールの始め方を見ればわかるように、年齢や運動経験を問わず、誰でも初日から楽しめるスポーツです。
草の根からの成長
ピックルボールの成長は、大企業の投資やメディア戦略によるものではなく、愛好家たちの口コミと熱意によって実現しました。バーニー・マッカラムが自宅の工房で一つ一つパドルを手作りしていた時代から、全米5,000万人がプレーする現在まで、常にコミュニティが成長の原動力でした。
日本でも同様に、各地域のクラブや愛好会が草の根的に活動を広げています。ピクラのイベント一覧で、お近くの活動を見つけてください。
イノベーションと伝統の両立
パドルの素材は合板からカーボンファイバーに変わり、プロリーグが設立され、レーティングシステムが導入されましたが、基本的なルールの骨格は1965年から大きく変わっていません。技術的なイノベーションと競技の本質的な楽しさを両立させていることが、ピックルボールの持続的な成長の秘訣です。
よくある質問(FAQ)
Q1. ピックルボールは誰が発明したのですか?
A. 1965年にアメリカ・ワシントン州ベインブリッジ島で、ジョエル・プリチャード(連邦下院議員)、ビル・ベル(ビジネスマン)、バーニー・マッカラム(エンジニア)の3人が共同で考案しました。子どもたちを楽しませるために、バドミントンコートを使い、卓球のパドルとウィッフルボールで即興のゲームを作ったのが始まりです。
Q2. 「ピックルボール」という名前の由来は何ですか?
A. 2つの説があります。最も有力なのは「ピックルボート説」で、プリチャードの妻ジョーンがボート競技の「ピックルボート(寄せ集めのボート)」にちなんで命名したとされています。もう1つは犬の「ピクルス説」ですが、時系列的な矛盾が指摘されており、ピックルボート説が公式見解として広く認められています。
Q3. ピックルボールはオリンピック種目になりますか?
A. 2028年ロサンゼルスオリンピックでの正式種目入りは見送られましたが、2032年ブリスベンオリンピックでの採用が有力候補として議論されています。国際統括団体の統一やグローバルな普及の拡大が課題として残っています。
Q4. 日本にピックルボールが入ってきたのはいつですか?
A. 1980年代にアメリカ在住の日本人によって紹介されたとされていますが、本格的な普及は2020年代に入ってからです。2024年のAPP JAPAN Openの開催が大きな転機となり、現在は全国で推定5〜10万人がプレーしています。
Q5. ピックルボールはなぜこんなに急成長しているのですか?
A. 主な理由として、(1)初心者でもすぐにラリーを楽しめるアクセシビリティの高さ、(2)年齢を問わず楽しめる適度な運動強度、(3)テニスコートの転用で手軽に始められるインフラの利便性、(4)SNSやYouTubeを通じた口コミでの拡散、(5)COVID-19パンデミック中の屋外スポーツ需要、が挙げられます。練習ドリルに取り組めば、より深くこのスポーツの魅力を体感できるでしょう。サーブの打ち方やダブルス戦術も学んでみてください。
まとめ
ピックルボールは、1965年にワシントン州の裏庭で生まれた手作りのゲームから、約60年の歳月を経て全世界で5,000万人以上がプレーする一大スポーツへと成長しました。
歴史のポイント:
- 1965年: ジョエル・プリチャード、ビル・ベル、バーニー・マッカラムが子どもたちのために考案
- 名前の由来: 「ピックルボート説」が最有力。寄せ集めのスポーツという意味
- 1984年: USA Pickleball設立でルールの統一と組織的な普及が始まる
- 2020年: パンデミックを機に爆発的な成長。若年層にも拡大
- 2022年〜: プロリーグ(MLP)本格始動。スポーツビジネスとしても注目
- 日本: 2020年代に入り急速に普及。2024年の国際大会開催が転機
- オリンピック: 2032年大会での正式種目入りが期待される
ピックルボールの歴史は、「誰でも楽しめるスポーツ」という原点の理念が60年にわたって受け継がれてきた物語です。これからも、この理念を大切にしながら、世界中でさらなる発展を続けていくことでしょう。
日本でも、ピックルボールの歴史の新しい章が始まっています。ピクラの初心者ガイドで基本を学び、ショップでパドルを手に入れ、イベントに参加して、あなたもこの歴史の一部になりませんか?
出典・参考文献
- USA Pickleball - "History of the Game" 公式歴史ページ
- Pritchard, J. & McCallum, B. - ピックルボール発明者による歴史的証言(USA Pickleball Archives所収)
- Sports & Fitness Industry Association (SFIA) - "2025 Topline Participation Report" - ピックルボール競技人口データ
- International Federation of Pickleball (IFP) - 国際大会・オリンピック関連情報
- 日本ピックルボール協会(JPA)公式サイト - 日本国内の普及歴史データ
ピクラでピックルボールを始めよう
ピクラ(pikura.app)は、日本最大のピックルボール総合プラットフォームです。ピックルボールの歴史を知ったら、次は実際にプレーしてみましょう。イベント一覧からお近くの体験会を探したり、ペアマッチングで一緒にプレーする仲間を見つけたり、プレイヤーページで他のプレイヤーと交流することもできます。
この記事について
この記事はピクラ編集部が執筆しました。ピクラ編集部は日本最大のピックルボール総合プラットフォーム「ピクラ」の運営チームとして、ピックルボールの正確な歴史情報の発信に努めています。本記事の執筆にあたっては、USA Pickleballの公式アーカイブ、プリチャード家やマッカラム家の証言記録、SFIAの統計データ、日本ピックルボール協会の関係者への取材など、一次資料に基づく情報を収集・検証しました。歴史的事実の正確性を最優先に、読みやすさとのバランスを考慮して構成しています。